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横浜地方裁判所 昭和54年(ワ)679号 判決 1985年4月12日

原告

甲野太郎

右訴訟代理人

大木章八

被告

乙野次郎

右訴訟代理人

逸見剛

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

金岡昭

外四名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事   実≪省略≫

理由

一事実経過

当事者間に争いのない請求原因1項(三)、被告乙野の主張1、2項及び被告東京都の主張4項の事実に加え、<証拠>を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  被告乙野は、昭和四七年から昭和五〇年ころまでの間、乙野商会という商号で冷凍食品の販売を、昭和五一年ころから昭和五五年ころまでの間、オリエンタル工業(会社)の代表取締役としてガスの安全装置の製造販売をしていたが、昭和四八年ころ、知人の紹介で食品の販売等を目的とする高信産業の代表取締役であつた高島と知り合い、昭和四九年ころから月二、三度高信産業の事務所に赴き同人の相談に応ずるなどの間柄にあつた。また、被告乙野は、昭和五二年春ころ、知人の紹介で薬品の卸販売をしていた片平と知り合つたが、同年五月ころ、高島に片平のことを話すと、高島から片平を紹介してくれと頼まれ、そのころ、高島に片平をドリンク剤の取引をしたいと言つていると言つて引き合わせた。

2  片平は、昭和五二年六月ころ、高信産業に対しドリンク剤を代金一一三万五〇〇〇円で売渡し、高信産業から右代金の支払のため約束手形の交付を受けたが、同年秋ころ、右手形は不渡りとなり、高信産業は倒産し、高島は行方をくらましてしまつた。そこで、片平は、同年一一月ころ、被告乙野に対し「高島と連絡をとりたい。居場所を教えて欲しい。」との旨の要請をしたことがあつた。

なお、被告乙野は、高信産業の片平に対する右債務につき保証する旨の書類を作成したり、高信産業の片平に対して交付した約束手形につき裏書をしたことはなかつた。

3  ところで、被告乙野は、次のような逮捕監禁恐喝の被害を受けたことがあつた。即ち、被告乙野が融資の仲介をした高信産業の高島が欠陥ガスホースの取引をしたことに関し、朴が、その部下の杉野某及び松永某を引連れ、昭和五二年八月一日ころ、被告乙野の自宅を訪れ、自由民主党政財会同志会神奈川県統合本部総務局長宮本司の名刺を見せ「欠陥ガスホースと知りながら担保にした。」などと脅し、その後、被告乙野を自動車に乗せ、川崎市多摩区登戸にあるビルの三階に連れ込み、この間被告乙野を殴つたりそのワイシャツを破るなどしたうえ、「一〇〇万円出せ。コンクリート詰めにして海に沈める。」などと脅し、一〇〇万円を支払う旨被告乙野に約束させた後、被告乙野を解放した。

そして、被告乙野は、同日ころ、朴から渋谷駅近くの喫茶店フランセに来るよう申し向けられ、高島と共に右フランセに行くと、右フランセには、朴の代理人と称する原告が来ていて、原告から「一〇〇万円渡せ。」と非常に強く言われ、一〇〇万円支払う旨の念書に強制的に署名させられた。

4  被告乙野は、昭和五三年七月一日ころ、片平から「近くに来たから会いたい。」旨の電話連絡を受け、片平の指定した東京都中央区日本橋小網町一六の五の被告乙野の事務所近くの喫茶店に行つたところ、片平のほかに原告も来ており、原告を見て前年の事件を思い出し非常に嫌な気持がするとともに恐怖感を覚えた。

片平は、被告乙野に対し、片平の高信産業に対するドリンク剤の売買代金債権の件を原告に一任した旨言い、その旨の委任状を見せた。そして、原告は、周囲に聞こえるような大きな声で「お前が紹介したのだから支払え。お前が払わなければ私の方も考えがある。」などと言い、被告乙野は、高島に連絡する旨述べて、その場を逃げるようにして帰つた。

5  被告乙野は、その後、高島に連絡することができ、昭和五三年七月一一日に片平、原告、高島及び被告乙野が会うこととされた。しかしながら、被告乙野は、以上の様な経緯からその場に同席したくなかつたため、行かなかつた。片平、原告及び高島は、同日会い、その場で、「高島は被告乙野に対しキーホルダーの売買代金債権一三〇万円を有していたが、高島は被告乙野から右売買代金の支払を受けておらず、被告乙野は、高島に対し、高信産業が片平に対して支払うべきドリンク剤の売買代金を高信産業に代わつて支払う旨約した」旨の証と題する書面が高島名義で作成された。

6  その後、昭和五三年七月一四日に再び片平、原告、高島及び被告乙野が会うこととされた。しかしながら、被告乙野は、前同様その場に同席したくなかつたため、被告乙野の友人である伊丹に対し「借金がないのに請求されている。しかも、請求しているうちの一人は、前に監禁された事件に関係している人物だ。大変なけんまくで請求しているので自分はもう会うのは嫌だし、恐いから、代わりに行つて話をきいてきてくれ。」と頼み、伊丹もこれを了承した。

片平、原告、高島及び伊丹は、同日、渋谷駅近くの喫茶店フランセで会つた。片平及び原告は、高島を責めず、専ら被告乙野の代理人である伊丹を責め、高島は、ほとんど黙つていた。伊丹は、片平、原告及び高島の三人が意を通じている印象を受けた。原告は、伊丹に対し「ただじゃおかない。奥さん娘さんに言つて、夜、夜中でも催促に行く。とにかく取るまで頑張る。ずつといる。あんなどぶねずみは社会から抹殺しなきやならん。」などときつく大きな声で言つた。伊丹は、その後、被告乙野に対し、原告が言つていた内容を伝えた。

7  その後、昭和五三年七月二一日ころ、片平、原告及び伊丹が、神田駅前の喫茶店で会つた。

原告は、それまで、被告乙野の事務所や自宅に何度も脅しの電話をかけ、被告乙野の妻や被告乙野の事務所の事務員である板倉が電話を受けた際、同人らに対し、「若い衆がまたお前の家へ行くぞ。」「連絡がなければ家へ行つて脅かすより仕様がないから、その旨被告乙野に伝えろ。」などと言つた。

前同日、被告乙野は、片平に対しドリンク剤の売買代金を支払う意思がなかつたが、その日のうちにも原告らが自宅に来て前年の事件と同様に自分又は自分の家族に危害が加えられるかもしれないという恐怖心から、見せるだけの趣旨で、オリエンタルブックセラーズ株式会社提出の額面一二五万円の約束手形を伊丹に持参させた。右約束手形は、被告乙野及び伊丹が右会社から本の販売先の紹介を依頼されてこれをなしたことから、右会社がその紹介手数料の支払のため振出したもので、被告乙野の紹介手数料七五万円及び伊丹の紹介手数料五〇万円を合算した額面一二五万円の一通の約束手形であつた。

伊丹が同日片平及び原告と会うと、片平及び原告は、右約束手形を預る旨強硬に主張し、原告は、右喫茶店から被告乙野に架電し「去年の話の杉野の若い衆もお前のことを恨んでいるから、お前の家へすぐ行かせるぞ。」などと言うので、被告乙野及び伊丹は、右約束手形を交付するほかないと考え、伊丹は、片平及び原告に対し右約束手形を交付した。その際、伊丹は、片平及び原告に対し、右約束手形の額面金額のうち五〇万円は伊丹の取分である旨説明し、後日、原告及び片平が右約束手形を被告乙野に返還し、被告乙野がその取分である七五万円相当の約束手形に差換える旨の約束を取りつけた。

8  片平及び原告は、昭和五三年七月二六日午後五時ころ、被告乙野の事務所において、被告乙野に対し、前記約束手形を返還するとともに、被告乙野から、オリエンタルブックセラーズ株式会社振出の額面金額合計七五万円の本件手形の交付を受け、また、片平の高信産業に対するドリンク剤の売買代金債権額と本件手形の額面金額との差額につき後日その支払日時方法を明らかにする旨の念書の交付を受けた。

被告乙野は、本件手形を交付したり右念書を作成交付したりしたくはなかったが、自己又は自己の家族に危害が加えられるのを恐れて、これをなした。

9  被告乙野は、昭和五三年八月二二日ころ、麻布署刑事防犯課暴力班捜査係菊永巡査部長に対し、右1ないし4及び6ないし8同旨の事実の申告をした。

菊永巡査部長は、これを同課同係長及川警部補に報告し、及川警部補は、同課長横山警視に報告し、横山警視の指揮により、及川警部補、菊永巡査部長、星川巡査部長、渡辺巡査部長、市原刑事を担当員とする本件の捜査が開始された。

10  麻布署警察官らは、被告乙野から事情聴取して供述調書を作成し、被告乙野の供述内容の裏付捜査として、片平及び原告の身辺調査をし、被告乙野の事務所付近の喫茶店でききこみ調査をし、被告乙野の妻、伊丹、板倉ら関係者から事情聴取をして、その結果、被告乙野の供述内容が、関係者等の供述内容と何ら矛盾せず、被告乙野及び関係者等の供述内容等を総合すれば、右1ないし4及び6ないし8同旨の事実があつたもので、原告及び片平らが本件被疑事実にかかる罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると判断した。

なお、麻布署警察官らは、右判断をするに先立ち、高島からの事情聴取をしなかつたが、その理由は、被告乙野及び伊丹の供述内容(前記6参照)などから、片平、原告及び高島らが意を通じている可能性があり、高島からの事情聴取をすれば、片平、原告及び高島らが通謀して罪証隠滅をはかり又は逃走する可能性があることなどにあつた。

また、横山警視は、本件が共犯にかかる事案であり、参考人も多数いることなどから任意捜査とした場合には罪証隠滅のおそれがあるとして、強制捜査とすることとし、昭和五三年八月二六日、東京簡易裁判所裁判官に対し、本件被疑事実で原告及び片平の逮捕状、原告の居宅及び片平の事務所に対する捜索差押許可状を請求し、同日、右各令状の発付を受けた。

なお、横山警視は、逮捕に慎重を期するため、逮捕前に捜索を実施して証拠品を押収し、任意同行を求めて麻布署において事情聴取し、その後逮捕するという方針で臨むこととし、及川警部補らに対し、その旨指示した。

11  星川巡査部長以下三名は、昭和五三年九月一日朝、片平の事務所に赴き、そこで本件手形を押収し、片平を麻布署に任意同行した。

片平は、麻布署到着後、取調べを受けて、本件被疑事実にかかる罪を犯したことを認めたので、星川巡査部長は、同日午前一〇時四〇分ころ、逮捕状を示して片平を逮捕した。

12  また、及川警部補以下三名は、昭和五三年九月一日午前八時三〇分ないし午前九時ころ、原告の居宅に赴き、原告に対し、本件被疑事実の概略を話したうえ、捜索差押許可状を示して捜索差押を実施する旨告げたところ、原告が自ら念書(甲第二号証)を提出したので、これを押収し、その後、原告に対し、任意同行を求めたところ、原告が「今はまずいから夕方仕事が一段落してから行く。」旨返答したが、「片平も来ているので、それは困る。」旨言うと、原告が知り合いの弁護士に電話で相談して同弁護士から「行きなさい。」との指示を受けて、任意同行に応ずることとなつた。

原告は、同日午前一一時ころ、麻布署に到着し、取調べを受けたが、及川警部補に対し、「本件手形を受取つたが、脅したことはない。」旨供述して、本件被疑事実にかかる罪を犯したことを否認し、「被告乙野は、高島に対して支払うべきキーホルダーの売買代金債務がある。」旨の弁解をした。

そこで、及川警部補は、被告乙野に対し電話で右の点を問合わせたところ、被告乙野から「その取引はあつたが、代金は精算済みである。こちらの方が高島に貸しがある。証拠の小切手もある。」旨の回答を得た。

及川警部補は、原告が否認しているものの、これまでの捜査結果に加え、片平が自白していること、原告の弁解に対する被告乙野の回答の内容などを総合して、原告が本件被疑事実にかかる罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると判断して、同日午後零時三〇分ころ、逮捕状を示して原告を逮捕した。

13  麻布署警察官らは、昭和五三年九月三日、原告の本件被疑事実につき、東京地方検察庁検察官に送致し、右検察官は、そのころ、東京地方裁判所裁判官に対し、原告の勾留を請求して勾留状の発付を受け、同月四日、原告を勾留した。

14  東京地方検察庁検察官は、昭和五三年九月一一日、原告に対する本件被疑事実につき起訴猶予処分をした。

以上の事実が認められ<る。>

二被告乙野の責任

以上認定の事実によれば、原告は、片平と共謀の上、昭和五三年七月一日ころから同月二一日ころまでの間、多数回にわたり、判示の喫茶店や電話等で被告乙野を、直接に、あるいは同被告の妻や板倉及び伊丹らを介し間接に判示の言辞を申し向けて脅迫し、畏怖した同被告から同日ころ判示喫茶店で伊丹を介しオリエンタルブックセラーズ株式会社振出の額面一二五万円の約束手形の交付を受け、ついで同月二六日ころ被告乙野の事務所において同被告から右手形と差換えの名目で本件手形の交付を受けてこれを喝取した事実が疑われるから、被告乙野が麻布署警察官に対し、虚偽の事実を申告し又は事実をありのまま申告しなかつたということはできない。

そうすると、原告の被告乙野に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

三被告東京都の責任

手記一認定の事実によれば、麻布署警察官である及川警部補が原告を逮捕した当時、原告が本件被疑事実にかかる罪を犯した(但し、本件被疑事実中の脅迫行為のなされた日時、場所は事実にそぐわない嫌いがあること前項に認定したとおりであるが、犯罪事実の同一性を欠くものとは認められない。)ことを疑うに足りる相当な理由があつたというべく、本件逮捕及びこれに基づく原告の身柄拘束を違法と目すべき事由は認められない。

なお、原告は、麻布署警察官が、原告逮捕以前に高島から事情聴取しなかつたことを論難するが、加害者が被害者に対し人を畏怖させるに足りる害悪を告知しこれにより被害者から財物を喝取すれば恐喝罪が成立し、加害者が被害者に対し何らかの権利を有するとしても、その権利行使の手段として社会通念上一般に認容すべきものと認められる程度を逸脱した場合にも右要件を充足すれば恐喝罪が成立するものといえるところ、前記一認定事実によれば、原告又は片平が被告乙野に対し何らかの権利を有していたか否かにかかわらず、原告が恐喝罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があつたと認められること、恐喝罪の事案又は共犯の事案は、他の犯罪又は単独犯の事案と比較して罪証隠滅のおそれが一般に高いところ、本件被疑事実にかかる事案は、共犯による恐喝罪の事案であつたうえ、原告は、本件以前に朴らの被告乙野に対する逮捕監禁恐喝事件に事実上関与していたという事情や、原告、片平及び高島らが意を通じている様子も窺われたことなどの事実に照らすと、麻布署警察官らが原告逮捕以前に高島から事情聴取しなかつたからといつて捜査に過失があつたとはいえない。

また、原告は、原告の任意同行が実質的には原告の逮捕にあたる旨主張するが、前記一、10及び12認定の事実経過とりわけ、横山警視は本件逮捕日の数日前に原告の逮捕状の発付を受けていたが、なお、逮捕に慎重を期するため、任意同行を求めて麻布署において事情聴取することとし、及川警部補もこの方針に沿つて、原告を任意同行し麻布署において原告から事情聴取のうえ原告の弁解につき直ちに追加捜査を行つていること、原告が麻布署到着後逮捕されるまでの時間は、約一時間三〇分であること、原告は、任意同行を求められた際知り合いの弁護士に電話で相談していること、その他及川警部補が原告に対し任意同行を求めた時刻、場所及び方法等に照らすと、原告の任意同行が実質的には原告の逮捕にあたるとはいえない。

そうすると、原告の被告東京都に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

四よつて、原告の請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(高橋久雄 林 泰民 橋本昇二)

別紙 被疑事実<省略>

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